BLACK LAGOON 15話

ワンポイントで池田勝氏(レビル将軍)出演。
結末としては、バラライカの貫禄勝ち。狂犬は猟犬に敵わず。なんだけど…。
前回感想でも書いたが、やはり双子は衣装コンパーチブルなだけでなく、本人同士ですらどちらがどちらだか判らない様で、ヘンデルの断末魔の台詞は双方の声が入り混じる有様。
流石にバラライカも相手が子どもだっただけに疲労感を口にし、グレーテル逃亡の時間を与えてしまう。
ラグーン商会を雇った(脅した?)グレーテルとロックの対話。表の世界からドロップアウトしたロックは子どもに善意で接するためか、グレーテルも屈託の無い表情を見せる。しかし、灰色の世界と悪意しか知らない子どもは、悪意の形でしか返す振る舞いを知らない。
ロックを「からかわれた」としてグレーテルに怒りをぶつけるレヴィ。グレーテルの目には「同類」でも、ロック絡みでのこの行動は、以前のレヴィには無い行動だろう。白に白で返す行動は。
さて、最近は「吐き戻す」意味からか「リバース」の用法に「吐くこと」もあるようだ。ならば「リバーシブル」は「吐く事ができる」とも訳せるのではないか。
ロックは表からの眼で裏世界を見て、嫌悪して「吐く事ができる」。レヴィも以前はロックの理想論に拒否反応を見せた。裏から表を見ても「吐く事ができる」。今はレヴィ・ロック両者とも反対側を受け入れつつあるけど、それは彼らが白も黒も内包しているから許容範囲が広がりつつあるという感じか。
ルーマニアの双子にはそれが無い。悪意を糧として与えられてきた双子には、拒絶する選択肢など無かった。「吐く事ができなかった」のである。「双子」には「鏡」のキーワードがつきまとうが、この双子はループする合わせ鏡でしかなかった。悪意には悪意を、黒には黒でしか返せない。どちらが投げかけ、どちらが応えても同じ「コンパーチブル」である。
双子に向けられた悪意がエスカレートした結果、返す悪意もまた肥大化して鏡の世界の外へ漏れ出した。鏡の外では、撒き散らされた悪意は受け入れられない。バラライカにしても、また「リバーシブル」だったわけだ。
で、初めて悪意以外のものを映し出す機会が与えられた。罰の後に救済を用意することで、この陰鬱な双子編はカタルシスをもって閉じられる。
双子がばら撒いた悪意への罰をカタルシスと受け取るか、救済をカタルシスと受け取るか。
現実にはどちらのカタルシスも起こらないことは殆どだ。ベニーが「この話はここで終わりだ」と言った時点で、後のことはドラマ上の決着に過ぎない。バラライカとして悪意にリバースするか、ロックとして世界の仕組みにリバースするかは見る側の自由である。ただ、作り手の側はEDに今回のみの絵を乗せる事で、ロックの側のスタンスを示している。見る側の我々は、どちらのスタンスでリバーシブルになれるのだろうか?