ウルトラマンメビウス 50話(3週遅れ) 心からの言葉

ありがとう、ウルトラマン。今までそう言って飛び去る姿に感謝するだけだった相手から、逆にありがとうを言われる日が来るとは。


メビウスは第2期の続編としての位置づけで始まった。自分は第2期リアルタイムの世代ではあるが、記憶はほとんど風化した状態で、現在ファミリー劇場の放映を見ている。
今エースが終わりに差し掛かってるとこなんだけど…ちょうど以前のウルトラ兄弟がダシにされ始めたあたりなのね…。アイテムやエールを授けに来るくらいだと助っ人として扱われてるんだけど、強敵の強さを演出するために全滅同然って状況が1年間に2回もあるし。しかも翌年以降その扱いはより顕著になるわけで。タロウのゾフィーやジャックの扱いとか、レオでのセブン再起不能とか。
新人の強さを強調するために前世代のヒーローがかませになる展開はよくある手法なんだけど、「前作を応援したファン」に不義理に思われるやり方なんだよね。レオが視聴率下がってシリーズが(一時)終了したのも、その辺によるファン離れがあるんだろう。


時は流れて平成3部作。旧作を完全に別世界としてリファインを目指したそれらは、旧作を頼ることなく、旧作を下げることもなく独立したシリーズとして好評を得た。
旧作ファンには、親離れされたみたいでさびしかったんだろうけど。


さて…。この後ちょっとウルトラは迷走を始める。
コスモスはヒーローとしてはアリだった。ただ、生き物を守るという理想により、巨大な敵に立ち向かう人類の味方というウルトラ本来の持つカタルシスが薄まってしまった。ウルトラ以外でやっていたら、円谷も別の活路が持てたろうに。
肯定できない部分があるとすれば、旧作の人気怪獣を半端にもじったリメイクかな。いや、第2期でもエピソードのリメイクはあったけど、怪獣や語り口を変えたりして違う作品に見せかける気遣いはあったよ。「モドキ」で客寄せしておいて、ギギとか最悪中身はまったく一緒だったりする芸のなさは、ちょっと承服できなかった。人それを羊頭狗肉という。
ウルトラの新生にこだわったネクサスはストイックにやりすぎた。こういうテイストもあってもいいけど、ウルトラに期待されていた大らかさに欠けていた。ファンには、3部作以上に全力で旧作を捨て去る危機感もあったろう。
マックスはいい意味での大らかさを取り戻すことには成功したと思う。だが、看板のひとつである人気怪獣復活に関しては大方において期待外れだった。平成版の手法としてドラマ部分の強化があるが、それは復活怪獣編でも例外ではなかった。それはすなわち、旧作では作品の中核をなした怪獣が、新作では全体における描写の比重が低下することを意味する。原液と同じ名前を持ってきて、薄味になってしまったのだ。筋立ても同じエピソードならなおさらである。


そして、メビウス。続編を名乗るものの宿命は、旧作を超えること。第2期においてそれは次第に旧作を踏み台扱いにしていったが、今作では先輩を下げることない客演編を実現。重箱の隅をつつくようなネタを拾ってきてさらにそれを発展させるというコンセプトは、リメイクでなくリファインと呼ぶにふさわしい仕事ぶりであった。彼らはこんなにもウルトラ好きだったのだ。そこには、旧作を愛する精神があふれている。誰よりも「ありがとう」を言いたかったのは、今作のスタッフだったのだ。そして、旧作を愛するファンへのサービス精神があふれている。これほどのものを送ってくれたスタッフにも「ありがとう」を返してしかるべきである。
その「ありがとう」はすべての人に。